ゆりかごの歌
♪世界の子守歌♪#050 日本の子守歌
「ゆりかごのうた」作詞 北原白秋 作曲 草川信
北原白秋が1921年(大正10年)に、雑誌『小学女生』8月号にて発表。1967年にNHKみんなのうたで広まりました。2007年に日本の歌百選にも選ばれています。
ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのうえに 枇杷の実が揺れるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのつなを 木ねずみが揺するよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのゆめに 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
『ゆりかごのうた』は、この短いことばに鋭利な言語感覚と技巧…“白秋ワールド”が散りばめられています。
ひとつは西洋文化への関心。現在の感覚では当たり前ですが、当時「ゆりかご」も「カナリヤ」も“高級舶来の品”で、庶民の暮らしには夢の世界。その「ゆりかご」を子どもの歌のテーマにし、欧米から入ってきた愛玩の鳥を歌の風景に取り入れています。
もうひとつは、カナリヤ、枇杷、月の色と、黄色がキーワードに。「黄色は暖色の最も優位にあり、人の心に温かさ、安らかさを感じさせる色。つまり、究極の“眠らせ歌”です」と、謎解きされて初めて、白秋の仕掛け、暗示性の面白さに気づかされます。
明治の日本の音楽環境は、江戸時代から続く邦楽の世界。学校制度は始まったものの、教材や手本はなく、専門の作曲家もいません。外国民謡のメロディをそっくり頂くか、その音階をまねた旋律に日本語の歌詞を付けた“おさがり”が、明治の唱歌の実態でした。民族文化に目覚めたことで生まれた歌。まばゆいばかりの光景だったに違いありません。
※オーストラリアQueensland 政府とCity of GoldCoastの後援で制作された"Lullabies from around the World"というプロジェクト。ゴールドコーストに住む外国人たちが自国の子守歌を歌うコミュニティ企画です。その中で、「Japanese」として紹介されたのがこの曲。後半、Momo Hiranoさんの歌いながら体が揺れていく姿は、まさに子守歌のリズムです。
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